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いつもの道を、少しだけゆっくり見る|身近な景色とこころの豊かさ

木々の影が落ちる住宅街の小道と「いつもの道に まだある 小さな豊かさ」の文字。

いつもの道の木陰や、窓から見える空。遠くへ出かけなくても、目を向けられる景色は身近にあります。何かを感じようと頑張るより、用事の合間に少しだけ見てみる。今日は、見慣れた場所を味わう時間と、こころの豊かさについて考えます。

目次

通っているのに、見ていない場所

毎日通る道でも、覚えているのは曲がり角と信号くらい、ということがあります。目的地まで何分かかるかを考え、次の予定を確かめながら歩く。道は、用事と用事をつなぐ場所になっているのかもしれません。

それは忙しい暮らしの中では自然なことです。いつでも景色を楽しむ余裕があるわけではありません。ただ、時間が少し空いた日まで同じように急いでいるなら、今日は何を急いでいるのか、と考えてみてもよさそうです。同じ道を選んでも構いません。

木の下にできた影の形。道端の鉢に伸びた新しい葉。建物の間から見える雲。探検に出かけなくても、いつもの道に目を留める場所はあります。美しいものを見つけなければ、と気負うほどのことではないのです。

見慣れたものだからと、毎回同じに見えているとは限りません。光の向きや、立つ場所が違えば、目に入るものも変わります。景色が大きく変わるのを待つ前に、こちらが少し見る時間を持てます。

名前を知らないまま、眺めてもいい

花を見つけると、名前を調べたくなることがあります。知れば楽しみが増えるでしょう。でも、名前を知らないと楽しめないわけではありません。淡い色だな、思ったより小さいな。それだけでも、実際に見た感想です。

すぐに調べ始めると、目の前の花より画面を長く見ていた、ということにもなります。気になったら後で調べることにして、まず形や色を見てみる。知る楽しみと、眺める楽しみを、別々に持ってもいいと思います。

写真に残す場合も同じです。撮ることが好きなら撮ればいい。ただ、きれいに写せなかったからといって、見たときのよさまで失敗にしなくてよいのです。光や風まで、全部を一枚に収める必要はありません。

誰にも見せないまま終わる景色もあります。記録が残らなくても、その時間を過ごしたことは残ります。後でうまく説明できるかどうかより、今ここで何に目が留まったのかを大切にしたいと思います。

癒されようとする力を、少し抜く

自然を見れば気分が晴れるはず、と期待して出かけたのに、用事が気になってしまう日もあるでしょう。そのとき、せっかく来たのだから気持ちを切り替えなければ、と自分に課題を増やすことはないと思います。

景色を眺めるのは、感想の提出を求められる時間ではありません。気持ちが変わらない日も、思ったほど楽しくない日もある。今日は長く見ていたいのか、早く帰って休みたいのか。そちらを確かめてもいいのです。

レイキヒーリングに親しんでいる人も、静かに過ごす時間に、特別な感覚を得ようと頑張りすぎていないでしょうか。身近な景色を見るひとときは、何を感じるべきかという答えを用意せずに過ごす練習にもできます。

ここでいう癒しは、景色を見ることで病気が治るという意味ではありません。用事や成果のことだけを考えていた時間に、目の前のものを眺める時間を加える。そのくらいの、日常の過ごし方の話です。

出かけられない日にも、窓はある

散歩に行く時間が取れない日もあります。天候や体調、家の用事によって、外に出たくないこともあるでしょう。毎日歩かないと意味がない、と決めてしまえば、また一つ用事が増えてしまいます。

窓のそばから空を見る。部屋に差す光の位置に気づく。雨の日なら、屋根や地面に当たる音を少し聞く。遠くまで行くことより、今いる場所で無理なく目や耳を向けられるものを選べます。

窓からの眺めがよくなくても、部屋の植物の葉や、洗った器の色を見直すことはできます。自然に囲まれた住まいだけが、豊かな時間を持てる場所ではないでしょう。自分の生活にあるものから始めてよいのです。

同じ場所でも、今日はここが好きだと思うことがあります。逆に、眩しすぎる、音が気になると分かることもある。何でもよいものとして受け取らず、自分がどう感じるかを確かめることも、暮らしに目を向ける一部です。

帰り道に、一つだけ覚えていたいもの

こころの豊かさを、大きな感動の回数だけで考えると、普通の日は物足りなく見えます。でも、葉の重なりがきれいだった、雲の形が面白かった。そんな小さな感想のある一日も、悪くないと思います。

誰かと話すなら、そのまま伝えてみるのもよいでしょう。相手が別のものに気づいていたら、次に通るときの楽しみになります。同じ感想を求めず、それぞれが見ていた景色を持ち寄れます。

今日の帰り道に、少しだけ目を留めてみたいものはあるでしょうか。何も見つからなくても、また別の日があります。見慣れた暮らしを、見慣れているという理由だけで通り過ぎない。そんな時間を、自分の一日に残しておきたいものです。

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この記事を書いた人

2000年ごろから、レイキヒーリングをやっています。
レイキ講師として何年もレイキを教えて、その中でチャネリングや、サイキックも教えていました。人は基本原理があって、それに従ってやれば大抵はできるようになります。ただ、自己否定や、被害者意識等がある場合、それらがスピリチュアルの微細な感覚を止めてしまいます。そこから、メンタルのケアを行うようになりました。多くの人のメンタルケアを通して、そこにも原理があり、原因を見つけてそれをケアすることで変わることがわかっています。多くのメンタルケアは、いい言葉を浴びせ力づけて、いい気持ちにすることであまり気にしなくはなります。でも、実際には微細な恐れは、本来の自分に気づくのを恐れ、無意識に拒否を指定しまいます。スピリチュアルは微細な感覚を大事にしてそれを受け取ることがよく言われますが、その根底である微細な感覚が取れないのでは、発展させることができません。それら全体の流れを見ながら、スピリチュアルの能力開発を教えてきます。

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