こころの豊かさを育てたいとき、好きなことが上手にできる必要はあるのでしょうか。上達する喜びはあります。でも、上手になったら楽しんでいいという順番では、始めたばかりの時間が窮屈になります。何ができるようになったかと並べて、その時間の何が好きだったかを考えてみたいと思います。
好きで始めたはずなのに
花を描く、本を読む、音楽に合わせて体を動かす。最初は気になって手を伸ばしただけなのに、続けるうちに、もっと上手に、もっと深くと目標が増えていくことがあります。
描いた線のゆがみが気になり、読んだ内容を忘れているとがっかりする。楽しかったはずの時間を振り返っても、できなかったところばかり思い出す。仕事の評価から離れたつもりで、趣味にも細かな採点を持ち込んでいるのかもしれません。
向上心があるのはいいことです。練習して、以前できなかったことができるとうれしい。ただ、今日の出来が悪かったという理由で、過ごした時間までつまらなかったことにするのは、惜しい気がします。
絵は思ったように描けなかったけれど、色を混ぜるのは面白かった。難しい本を読み切れなくても、一つの言葉が気に入った。完成したものを評価するだけでは、そういう細かな喜びを取りこぼしてしまいます。
役に立つ理由を、毎回用意しない
好きなことに時間を使うとき、人に説明できる理由が欲しくなることがあります。仕事にも使えるから、教養が身につくから、将来のためになるから。そう言えれば、安心して取り組めるのでしょう。
実際に役立つこともあるはずです。でも、役に立つと証明できない楽しみを、全部後回しにするとどうなるでしょうか。好きな色を選んだり、知らない曲を聴いたりするだけの時間は、いつまでも順番が回ってきません。
花の名前を覚えていなくても、その形を眺めることはできます。演奏ができなくても、繰り返し聴きたい曲は持てます。詳しく説明できることと、自分が好きだと感じることは、同じではありません。
役に立つかどうかを尋ねる前に、またやってみたいかを自分に聞いてみる。そこで出てくる小さな返事も、予定を決める理由にしていいと思うのです。
比べるなら、何を知りたいのか
上手な人の作品を見ると、まねしてみたくなることがあります。知らなかった工夫を見つけ、試したくなる。人のやり方に触れる楽しさは、あります。
ところが、いつの間にか自分の足りなさを数える時間になる。相手が何年続けているのかも分からないまま、今の自分と並べてしまう。同じ道具を持っているからといって、同じところから始めたわけではないのに。
比べた後に、具体的にやってみたいことが残るなら、その比較には使い道があります。見終わって手を動かすのが嫌になったら、今日は画面を閉じて、自分のやっていたことへ戻ってもいいでしょう。
誰かに見せるための仕上げと、自分だけで試す時間を分ける方法もあります。全部を発表しなくていい。途中の絵、弾き直した曲、読みかけのページ。人に見せないまま続いている楽しみがあっても、何も困りません。
癒しまで、上手にこなそうとしない
癒しやスピリチュアルへの関心にも、似た採点が入り込むことがあります。昨日より穏やかでいられたか、学んだ考え方を実践できたか。自分と向き合う時間が、気づけば毎日の成績をつける時間になっている。
振り返ることは役立ちます。それでも、いつも改善点を探していたら、ここで好きだと思ったことを味わう余裕がなくなります。何かを学ぶ日があってもいいし、学びにまとめずに終える日があってもいいのではないでしょうか。
自分の内側を大切にするという言葉を、暮らしの中で確かめるなら、好きなものを雑に扱わないことから始められます。気に入った音を最後まで聴く。手触りの好きな道具を使う。そこに特別な意味や不思議な体験を足さなくても、自分の感覚に触れる時間にはなります。
続ける大きさは、自分で決める
好きなことなら際限なく時間やお金を使っていい、という話ではありません。生活費や約束を守りながら、今の暮らしに入る大きさを考える。無理をして楽しみを維持しようとすると、後で苦しくなってしまいます。
道具をそろえる前に、家にあるもので試してみる。毎日と決めず、次の休日に少し触れてみる。しばらく離れても、気が向いたら戻る。続けた日数だけを大切にしなくても、好きなこととの付き合いは続けられます。
今日、何かを楽しんだら、終わった後に一つだけ思い出してみてください。上手にできたところではなく、もう少し続けたかったところを。色を選んでいたときなのか、好きな一節を読み返したときなのか。自分の楽しさを具体的に知ることは、次に何を選ぶかの手がかりになります。
大きな成果が残らない日にも、好きな時間は残ります。その時間を、上達するまでお預けにしない。こころの豊かさを考えるなら、そんな選び方も大切にしたいものです。
