家事や仕事を済ませても、誰からも言葉がない日があります。認めてほしかったと感じる一方で、何も言われなかったから大した一日ではなかった、と決めていないでしょうか。他人の反応を待つ前に、自分がしたことを自分でも確かめる。今日は、評価だけに預けないこころの豊かさを考えます。
何も言われなかった日は、何もしなかった日か
洗濯物を畳む。必要な連絡を返す。次に使う人のために道具を戻す。暮らしの中には、終わると目立たなくなる仕事があります。片付いていることが普通になれば、そこに誰かの手がかかったことは、話題にならないかもしれません。
その静けさが、少し寂しい日もあるでしょう。自分だけが動いている気がしたり、ひと言くらいあってもいいのにと思ったりする。認めてほしいという気持ちを、すぐに欲深いものとして片付けなくていいと思います。
ただ、誰にも褒められなかったことと、自分が何もしなかったことは別です。返した連絡は返せています。整えた道具は使える状態になっています。言葉が届かなかったからといって、したことまで消えてしまうわけではありません。
一日を振り返るとき、他人の感想を先に探していると、自分が見ていたはずの出来事が抜け落ちます。今日は何をしたのか。どこで手を止め、何を考えて動いたのか。まず、そこに戻ってみたいのです。
褒めてほしい自分を、追い払わなくていい
承認欲求とは、自分の存在や行動を誰かに認めてもらいたい気持ちです。褒められるとうれしい。頑張ったことを分かってもらえると、また話したくなる。そうした喜びまでなくそうとすると、人とのやり取りも窮屈になってしまいます。
癒しやスピリチュアルを学んでいると、他人の評価を気にしない人でいたいと思うこともあるでしょう。でも、気になっているのに、もう気にしていないふりをする必要はありません。今日は誰に、何を分かってほしかったのか。そのほうが具体的です。
家族に手間を知ってほしかったのか。仕事で工夫した部分を見てほしかったのか。それとも、ただ一日の話を聞いてほしかったのか。同じ寂しさに見えても、求めているやり取りは違います。
相手が気づくまで黙って待つ以外にも、話し方はあります。今日はここまで片付けた、と伝える。工夫した点を説明する。自分のしたことを話題にするのは、必ずしも自慢ではありません。相手が知らないことを知らせる会話でもあります。
自分を見るときは、大げさに褒めなくても
自分を認めようと言われても、すばらしい、完璧だ、と言い聞かせるのはしっくりこないかもしれません。それなら、無理に持ち上げず、事実を一つ拾ってみます。先延ばしにしていた用事に取りかかった。分からないところを質問できた。それくらいの言葉で十分です。
終わらなかった仕事にも、進んだ部分がある場合があります。全部できなければ何もしていない、という数え方をやめてみる。途中なら途中と書き、どこまで進めたかを確かめる。そのほうが明日の用事も見えやすくなります。
反対に、思うように動けなかった日を、何とか立派な一日に見せる必要もありません。予定を詰めすぎた、別の用事が入った、今日は休んだ。自分を見ることには、そうした事情をそのまま受け止めることも含まれます。
他人に見せるための記録でなくていいのです。ノートの片隅に一行だけ残す。書くのが面倒なら、寝る前に一つ思い出す。毎日続けた回数を競うより、自分の一日を自分も見ていた、と言えることを大切にしたいと思います。
認めることと、負担を引き受け続けること
ここは混ぜたくないところです。自分で認められるようになれば、どんな負担も黙って引き受けられる、という話ではありません。家事が一人に偏っているなら分担を、仕事の量が多すぎるなら範囲や期限を相談する必要があります。
ありがとうと言われればうれしくても、それだけで疲れや用事がなくなるわけではないでしょう。欲しいのが言葉なのか、実際の手助けなのかを見分ける。両方必要なときは、両方について話していいのです。
レイキヒーリングに親しんでいる人も、自分のために静かに過ごす時間と、暮らしの負担を見直すことを、一緒に大切にしてよいと思います。自分をいたわる時間を、もっと我慢するためだけに使わないことです。
誰かのひと言を、一日の採点にしない
褒めてもらえたら、その言葉は喜んで受け取る。何も言われなかった日は、自分がしたことを自分でも確かめる。どちらか一方だけに決めなくても、人とのつながりも、自分の判断も持っていられます。
仕事などで必要な評価は、確認する。その評価と、一日の自分を丸ごと好きになれるかどうかは、分けて考えられます。
今日、誰にも気づかれなかったことの中に、あなた自身は覚えていることがあるでしょうか。それを一つ、なかったことにせず一日を終える。こころの豊かさには、そんな静かな確かめ方もあると思います。
