一人の時間を豊かにするものは、特別な趣味や、充実して見える予定だけではありません。誰かに見せることから少し離れて、自分が心地よいと感じることを選べるか。この記事では、こころの豊かさを、一人で過ごす時間の使い方から考えてみます。
一人の時間にも、人の目が入り込む
せっかく時間ができたのに、何をすればよいか分からない。とりあえず画面を開き、人が過ごした休日を眺める。気づけば、自分の時間なのに、人の予定を見て終わっている。
一人でいることと、自分の気持ちを聞いていることは、同じではないのでしょう。周りに人がいなくても、誰かなら何をするか、どう見られるかを考え続けることはあります。
こころが豊かな人という言葉にも、理想の人物像を重ねやすいものです。読書をして、丁寧に料理をして、静かに微笑んでいる。そんな姿に合わなければ、自分の時間は豊かではないのでしょうか。
漫画を読んで笑う日も、昼寝をする日もあっていい。何をするかの見栄えより、自分がそれを選んでいるかを、大切にしたいと思います。
誰にも見せなくても、したいことは何か
写真を撮らなくても、その場所へ行きたいか。感想を投稿しなくても、その本を読みたいか。誰にも褒められなくても、その料理を作りたいか。少しだけ、人に見せる予定を外して考えてみてください。
見せることが悪いわけではありません。好きなものを共有する楽しみもあります。ただ、見せる楽しみばかりが先に来て、自分で味わう時間が抜けていないかを確かめるのです。
好きな曲を流したら、別のことをしながらではなく、一曲だけ聴いてみる。散歩なら、歩数や写真の出来だけでなく、どの道を歩きたいかも選ぶ。目的を全部なくさなくても、自分の好みが入る場所を作れます。
一人の時間は、自分の好き嫌いを人に合わせずに確かめられる機会です。気が進まなければ途中でやめても、別のものに変えてもいい。その自由も使ってみてください。
静かに過ごすことを、立派な課題にしない
一人の時間を整えようとして、朝の習慣を増やしすぎることがあります。読書、掃除、運動、振り返り。どれもよいことに見えて、終わらなければ今日も駄目だったと思ってしまう。
予定を作ることが楽しいなら、それでいいでしょう。でも、自分をいたわるはずの時間が、できなかったことを数える時間になっているなら、少し減らせます。
レイキを学んだ方は、自分に手を当てて静かに過ごすことを、その中の一つにしてもいい。ただ、毎回よい気づきを得ることや、特別な感覚を出すことまで目標にしない。教わった方法を無理なく使えるか、自分の生活で確かめていきます。
スピリチュアルな時間を、いつもの暮らしより立派なものにしなくていいのです。床に座るとつらいなら椅子を使う。静けさが落ち着かない日は、別の過ごし方を選ぶ。自分の感覚を、形式より後ろに置かないでください。
一人で使える場所が少ないなら、長い時間を確保する前に、短くても邪魔されにくい場面を探してみる。近所を歩く、帰宅前に少し座る。理想の部屋がなくても、自分の好みを聞ける時間は、暮らしの隙間にでも作れます。
寂しい日は、人を求めてもいい
一人で満たされる人になりたい。その願いが、一人で寂しくなってはいけないという決まりに変わると、少し苦しくなります。
自分の時間を楽しむことと、人とのつながりを求めることは両立します。今日は誰かと話したいなら、その希望も自分の気持ちです。一人で完結できない自分を、急いで直す必要はありません。
もちろん、連絡した相手が今すぐ応じられるとは限りません。相手の都合を聞きながら、別の日を相談することもできます。寂しさを一人の相手だけに全部預けず、話せる人や参加できる場を少しずつ持つ方法もあります。
一人の時間が豊かであることを、誰の助けも借りない証明にしない。人と過ごして嬉しかったことを思い出す時間も、一人の時間の中にあっていいのです。
終わった後に、成果を並べなくていい
今日は何をした、と聞かれて、特に何もと答える日があります。でも、本当に何もなかったでしょうか。窓から入る風が気持ちよかった。食べたいものを選べた。読みたいところだけ読めた。
誰かに説明すると小さすぎることでも、自分の感覚として残っているなら、それを消さなくていい。充実した休日として発表できるかどうかは、その時間の価値の全部ではありません。
振り返るなら、どれだけできたかに加えて、またしたいことがあったかを聞いてみる。次の休みに少し残したい過ごし方が見つかれば、それで十分な日もあります。
こころの豊かさを持つ人の、共通の休日があるとは思いません。自分が何を大切にしているかを知り、それを暮らしの中で少し選べる。その姿は、人によって違うはずです。
誰にも見せない午後に、好きなことを一つ置く。見せなくても確かに嬉しいものを、自分の暮らしに残していきましょう。
